エコサイコロジーの定義と境界 その2

エコサイコロジーの定義と境界 その1

 その1で確認したように、ローザックの定義では、エコサイコロジーとは「心理学的なものと生態学的なものとの新たな統合」であった。しかし、この定義を拡大したり、改変しているものや、表面上はローザックのものと異なる目的や姿勢を示すため、新たに名前をつけているものもある。ではここで、3つの文献を例に挙げ、それぞれがローザックによる定義とどのような違いがあるのかをみていきたい。

1.ウィンター(Deborah Du Nann Winter)の『Ecological Psychology(エコロジカル・サイコロジー)』
 
 タイトルから判断すれば、ウィンター著の『Ecological Psychology: Healing the Split Between Planet and Self』はロ
ーザックのオリジナルの定義や主張に一致したエコサイコロジーと捉えられるかにみえる。しかし、ウィンターの考えはローザックに由来するものではない。ウィンターは「心理学の未来への新しい方向性、エコロジカル・サイコロジーを提案」したいと述べ、それを「持続可能な世界を築くための、物理的、政治的、スピリチュアルな文脈における人間の経験と行動の研究」であると定義している。その中心にある問題は「ますます壊れ行く生態系でどのように生きてゆくのか」である。2 ローザックのエコサイコロジーとウィンターのエコロジカル・サイコロジーとの主要な違いは、ローザックが従来の心理学を脱構築し、その全体をエコロジカルな文脈と感受性で改正することを主張しているのに対し、ウィンターは環境問題の理解と解決のために、心理学の主要学派の理論や方法論を融合して適用することを主張しているところにある。

2.ハワード(George S. Howard)の『Ecological Psychology(エコロジカル・サイコロジー)』

 ハワード著の『Ecological Psychology: Creating a More Earth-Friendly Human Nature』も、一見するとエコサイコロジ
ーと同じにみえる。しかし、ハワードは自身のエコロジカル・サイコロジーを定義しておらず、ローザックのエコサイコロジーやウィンターのエコロジカル・サイコロジーとも関連付けてはいない。ハワードは自身のエコロジカル・サイコロジーの主要目的を「地球にやさしい人間性の促進を意図した、我われの考え方や行動のし方における建設的な変化を育成すること」としている。3

3.クラインベル(Howard Clinebell)の『Ecotherapy(エコセラピー)』

 クラインベル著の『Ecotherapy: Healing Ourselves, Healing the Earth』もタイトルは上記の2つの例と似ている。しかし、クラインベルはエコサイコロジーとエコセラピーの概念の違いを次のように明らかにしている。「エコセラピーは、地球との健全な相互作用によって育まれる癒しと成長のことを言う」。一方、エコサイコロジーは「いわゆる“心理学の緑化”」を指す。4 エコサイコロジーが心理学の緑化を指すものであるという点は正しいが、クラインベルはエコサイコロジーが有効なエコセラピー的要素を持つことを認めていない。さらにクラインベルは、エコロジーの心理学化はサイコエコロジー(psycoecology)という分野のものであると断言しているが、これはローザックの主張を誤解している。


 ウィンターは自身のエコロジカル・サイコロジーをローザックのエコサイコロジーとは距離を置いたものとし、ハワードは単にその関連性に触れず、クラインベルはエコサイコロジーへの恭順を示さないだけではなく、誤った定義をすることによってローザックの定義の半分を消してしまっていると考えられる。ウィンターとハワードのエコロジカル・サイコロジーはそのアプローチに浅さがみられるが、心理学を用いて環境問題にポジティヴな影響を与えようとすることは、ローザックの二つめの目的 ―エコロジーの心理学化― に忠実である。また、ローザックは定義上、「心理療法的なものや精神医学的なものも含め」ようとしており、エコセラピーをエコサイコロジーの中へ組み入れている。5
 
〈註〉
2. Winter 1996, p.283
3. Howard 1997, p.1
4. Clinebell 1996, p.xxi
5. Roszak 1995, p.4



0 件のコメント: