エコサイコロジーの定義と境界 その4

エコサイコロジーの定義と境界 その1
エコサイコロジーの定義と境界 その2

エコサイコロジーの定義と境界 その3

 ヒバード(Hibbard, 2003)は、何がエコサイコロジーであり、何がエコサイコロジーではないのかを明確にするには、ロー
ザックのオリジナルの定義に立ち返るべきであると主張する。つまり、新しい定義や名称がローザックの2つの目的 ― 心理学のエコロジー化、エコロジーの心理学化 ― の両方、あるいはどちらか一方に一致するのであれば、それはエコサイコロジーであるし、一致しなければ、別の分野であると区分することができる。さらに、ヒバードはそれぞれのアプローチの深度(浅い/深い)をエコサイコロジーか否かの判断基準にすることを提案する。知的基盤の項で述べたように、エコサイコロジーはディープエコロジーの思想を取り入れているため、生態系の危機と関連のある人間と自然との相互関係性に対して深い問いかけをすることは不可欠である。例えば、その2で述べたハワード(Howard, 1997)のエコロジカル・サイコロジーは、西洋的世界観や心理学の基本的前提に対して疑問を持っていないので、そのアプローチは浅いといえる。一方、ウインターWinter, 1996)は西洋的世界観の前提には疑問を呈してはいるが、心理学の前提への疑問は不十分である。

 しかし、ローザックはエコサイコロジーを「新たな統合(emerging synthesis)」13 であると定義しており、後に「エコサイコロジーは多数の意見とのオープンな対話を意図している」14 と述べていることに注意する必要がある。つまり、ローザック自身は様々な情報源からの知識にオープンであり、それを歓迎さえしている。しかし、それらの情報源が正当なもの、つまりエコサイロジーの目的を促進するものである場合のみ認められる。

 エコサイコロジーは心理学の新しい下位区分(subdiscipline) なのか、という問題に関して、ローザックは次のように述べている。「われわれ〔the Bay Area Ecopsychology Group〕はエコサイコロジーを新たな治療原理、または新たなイデオロギー陣営とは捉えていない。われわれの目的は、地球との持続可能な関係を築くための取り組みに取って代わることではなく、それを補うことである」。15 メツナー (Metzner)もこの点に関して次のように述べている。
この分野[エコサイコロジー]に属するわれわれは、心理学の新しい下位区分の創設や、臨床心理学、社会心理学、発達心理学など他の分野への参入を主張するつもりはない。むしろ、われわれは、心理学とは何か、また第一に何をするべきだったのかを根本から再想定(re-envisioning)すること ― 人間生活のエコロジカルな文脈を考慮に入れる改革 ― について話している。16
このことから、メツナーはエコサイコロジーよりも「グリーン・サイコロジー(green psychology)」という名称を好んで使用している。グリーン・サイコロジーの方が心理学の全原理の緑化という意味合いを表していて、新たな心理学の下位区分の創設という誤認を避けられるからである。


 ヒバードは、1992年に出版されたローザック著『The Voice of the Earth』は、エコサイコロジーの名称、定義、そしてそのヴィジョンが明確に述べられたという点で最も影響力があり、ローザックによるオリジナルの定義を支持することが必須であると主張する。つまり、新たになされる定義はローザックのものに敬意を表し、またその立場を明確に線引きする責任があると述べる。


〈註〉 
13. Roszak 1995, pp.4-5.
14. Roszak 1997
15.Roszak 1994, 1
16. Metzner 1999, p.2


〈参考文献〉
Bell, P., T. Greene, J. Fisher, and A. Baum (1996). Environmental Psychology. Orlando, FL: Harcourt Brace.

Clinebell, Howard (1996). Ecotherapy: Healing ourselves, healing the earth. Minneapolis, NM: Fortress Press.

Gifford, Robert (1997). Environmental psychology: Principles and practice. Boston: Allyn and Bacon.

Hibbard, Whit (2003). Ecopsychology: A review. The Trumpeter 19(2): 23-58

Howard, George S. (1997). Ecological psychology: Creating a more earth-friendly human nature. Notre Dame:
University of Notre Dame Press.

Kidner, David W. (1994). Why psychology is mute about the environmental crisis. Environmental Ethics 16: 359-376

Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

Roszak, Theodore (1992/2001). The Voice of the earth: An exploration of ecopsychology (2nd ed.) Grand Rapids, MI: Phanes Press.

Roszak, Theodore (1994). The greening of psychology: The Ecopsychology Newsletter 1(1): 6.

Roszak, Theodore (1995). Where psyche meets Gaia. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology:

Restoring the earth, healing the mind (pp.1-17). San Francisco: Sierra Club Books.

Stokols, D., and I. Altman, eds. (1987). Handbook of environmental psychology. New York: Wiley.

Winter, Deborah D.N. (1996). Ecological psychology: Healing the split between planet and self. New York: Harper Collins.


エコサイコロジーの定義と境界 その3

エコサイコロジーの定義と境界 その1
エコサイコロジーの定義と境界 その2


 次に、エコサイコロジーと「環境心理学(environmental psychology)」にはどのような違いがあるのかをみてみよう。名称の問題の項でも述べたように、両者はその名称から混同されることがあるが、それぞれの定義は異なり、別の分野であると捉えなけらばならない。


 キドナー(David W. Kidner, 1994)によると、環境心理学とは「主としてストレス、公害、騒音、都市化、過密化など、特定の環境要因が個人に与える影響に関するものである」。6 一方、エコサイコロジーの一番の関心事は、人間が環境に与える影響であり、正反対である。メツナー (Ralph Metzner,1999)はこの点を次のようにまとめている。「エコサイコロジーは、主に制度的環境が心理状態に与える影響を扱う環境心理学の変種ではない」7 また、フィッシャー(Andy Fisher, 2002)は、エコサイコロジーは環境心理学が持つ従来の科学的世界観や方法論、技術主義的な精神、人間中心主義に異議を唱えるものであり、環境心理学よりもさらに急進的であると述べている。ローザックは自身のエコサイコロジーの定義に関する最近の議論の中で、「“環境心理学”と呼ばれる十分に発達した分野」を知ってはいるが、環境保護論者と心理学者との対話を支えるには不十分であると述べている。なぜなら、環境心理学の関心は「都市生活の建築的環境であり、私たちの自然からの疎外に関して言えば、それは解決というより問題である」。8

 次に挙げる環境心理学の3つの文献のレビューも、キドナー、メツナー、フィッシャー、ローザックによる評価を支えるものになるだろう。例えば、ストコルスとアルトマン(D. Stokols & I. Altman, 1987)は環境心理学を「社会物理的環境との関係における人間の行動と幸福(well-being)の研究」と定義している。9 ベルら(P. Bell et al, 1996)は、環境心理学の主要な関心は「行動や心的状態への決定要因や影響力としての環境」であると述べている。10 また、ギフォード(R. Gifford, 1997)は「私たちの自然環境との関係を改善することや…自然資源の管理」11 に関心を示してはいるが、環境心理学を「個人と物理的環境との相互作用の研究」と定義している。12 これら3つの文献は環境心理学を従来の科学的パラダイムに確固として位置づけ、基本的前提に深い問いを投げ掛けたり、それに挑もうとしていない。これはエコサイコロジーの姿勢と正反対であるといえる。しかし、環境心理学がエコサイコロジーにとって何の重要性も持たないということではないし、実際、多くの学ぶべき研究がなされており、両者の相補的な発展が期待できるであろう。


〈註〉
6. Kidner 1994, p.368
7. Metzner 1999, p.183
8. Roszak 1992/2001, p.323
9. Stokols and Altman 1987, p.1
10. Bell et al. 1996, p.4
11. Gifford 1997, p.1,4
12. Gifford 1997, p.1


エコサイコロジーの定義と境界 その2

エコサイコロジーの定義と境界 その1

 その1で確認したように、ローザックの定義では、エコサイコロジーとは「心理学的なものと生態学的なものとの新たな統合」であった。しかし、この定義を拡大したり、改変しているものや、表面上はローザックのものと異なる目的や姿勢を示すため、新たに名前をつけているものもある。ではここで、3つの文献を例に挙げ、それぞれがローザックによる定義とどのような違いがあるのかをみていきたい。

1.ウィンター(Deborah Du Nann Winter)の『Ecological Psychology(エコロジカル・サイコロジー)』
 
 タイトルから判断すれば、ウィンター著の『Ecological Psychology: Healing the Split Between Planet and Self』はロ
ーザックのオリジナルの定義や主張に一致したエコサイコロジーと捉えられるかにみえる。しかし、ウィンターの考えはローザックに由来するものではない。ウィンターは「心理学の未来への新しい方向性、エコロジカル・サイコロジーを提案」したいと述べ、それを「持続可能な世界を築くための、物理的、政治的、スピリチュアルな文脈における人間の経験と行動の研究」であると定義している。その中心にある問題は「ますます壊れ行く生態系でどのように生きてゆくのか」である。2 ローザックのエコサイコロジーとウィンターのエコロジカル・サイコロジーとの主要な違いは、ローザックが従来の心理学を脱構築し、その全体をエコロジカルな文脈と感受性で改正することを主張しているのに対し、ウィンターは環境問題の理解と解決のために、心理学の主要学派の理論や方法論を融合して適用することを主張しているところにある。

2.ハワード(George S. Howard)の『Ecological Psychology(エコロジカル・サイコロジー)』

 ハワード著の『Ecological Psychology: Creating a More Earth-Friendly Human Nature』も、一見するとエコサイコロジ
ーと同じにみえる。しかし、ハワードは自身のエコロジカル・サイコロジーを定義しておらず、ローザックのエコサイコロジーやウィンターのエコロジカル・サイコロジーとも関連付けてはいない。ハワードは自身のエコロジカル・サイコロジーの主要目的を「地球にやさしい人間性の促進を意図した、我われの考え方や行動のし方における建設的な変化を育成すること」としている。3

3.クラインベル(Howard Clinebell)の『Ecotherapy(エコセラピー)』

 クラインベル著の『Ecotherapy: Healing Ourselves, Healing the Earth』もタイトルは上記の2つの例と似ている。しかし、クラインベルはエコサイコロジーとエコセラピーの概念の違いを次のように明らかにしている。「エコセラピーは、地球との健全な相互作用によって育まれる癒しと成長のことを言う」。一方、エコサイコロジーは「いわゆる“心理学の緑化”」を指す。4 エコサイコロジーが心理学の緑化を指すものであるという点は正しいが、クラインベルはエコサイコロジーが有効なエコセラピー的要素を持つことを認めていない。さらにクラインベルは、エコロジーの心理学化はサイコエコロジー(psycoecology)という分野のものであると断言しているが、これはローザックの主張を誤解している。


 ウィンターは自身のエコロジカル・サイコロジーをローザックのエコサイコロジーとは距離を置いたものとし、ハワードは単にその関連性に触れず、クラインベルはエコサイコロジーへの恭順を示さないだけではなく、誤った定義をすることによってローザックの定義の半分を消してしまっていると考えられる。ウィンターとハワードのエコロジカル・サイコロジーはそのアプローチに浅さがみられるが、心理学を用いて環境問題にポジティヴな影響を与えようとすることは、ローザックの二つめの目的 ―エコロジーの心理学化― に忠実である。また、ローザックは定義上、「心理療法的なものや精神医学的なものも含め」ようとしており、エコセラピーをエコサイコロジーの中へ組み入れている。5
 
〈註〉
2. Winter 1996, p.283
3. Howard 1997, p.1
4. Clinebell 1996, p.xxi
5. Roszak 1995, p.4



エコサイコロジーの定義と境界 その1

 エコサイコロジーは、一般に受け入れられた明確な定義を持っていない。そのため、(名称の問題の項でも述べたように)エコサイコロジーやそれに近い名称を名のるものであっても、それぞれが持つ定義には相違がみられ、エコサイコロジーとは異なる分野との混同を招くことがある。ヒバード(Whit Hibbard, 2003) は、エコサイコロジーの定義と他の分野との境界に関する問題について論じており、ここでは彼の議論をレビューしていきたい。

 ヒバードは、以下の疑問に答える形でエコサイコロジーの定義を明らかにしようとしている。
エコサイコロジーとは何か、つまりどうのように定義されるのか; エコサイコロジーは「エコロジカル・サイコロジー(ecological psychology)」、「サイコエコロジー (psychoecology)」、「エコセラピー (ecotherapy)」、「グリーン・サイコロジー (green psychology)」と同じなのか;エコサイコロジーは「環境心理学 (environmental psychology)」とどのように違うのか;エコサイコロジーは心理学の新しい下位区分(subdiscipline) なのか。

 まず始めにエコサイコロジーの提唱者であるセオドア・ローザック(Theodore Roszak)によるオリジナルの定義からみてみよう。1992年の著作『The voice of the earth』でローザックは初めて“サイコロジー(心理学)”に“エコ”の接頭語を付け、それには「心理学のエコロジー化(ecologizing psychology)」と「エコロジーの心理学化(psychologizing ecology)」という2重の目的があると宣言している。ローザックは一つめの目的に関して、もし心理学が環境危機に対して建設的な影響を与えるのならば、従来の心理学の理論と実践をエコロジカルな文脈で捉え直すことが必要不可欠だと主張する。二つめの目的に関しては、環境保護運動も「新たな心理的感受性」を必要としており、いかにして私たちの環境破壊的な行動を変えようという気にさせるのかなど心理学に学ぶべきことが多いと述べる。それから3年後の1995年に出版されたアンソロジー『Ecopsychology: Restoring the Earth, Healing the Mind』の中で、ローザックは次のように述べ、独自の定義を強化している。
エコサイコロジーは、この心理学的なもの(ここには心理療法的なものや精神医学的なものも含めようとしている)と生態学的なものとの新たな統合に対して最もよく使われる名称である。…[他にもいくつかの名称が提案されているが]名前は何であれ、エコロジーは心理学を必要とし、心理学はエコロジーを必要とする、という基本的前提は同じである。1

つまり、ローザックにとって、エコサイコロジーとは、心理学的なものと生態学的なものとの新たな統合(the emerging synthesis of the psychological and the ecological)である。


〈註〉
1. Roszak 1995, pp.4-5.