エコサイコロジーの定義と境界 その4

エコサイコロジーの定義と境界 その1
エコサイコロジーの定義と境界 その2

エコサイコロジーの定義と境界 その3

 ヒバード(Hibbard, 2003)は、何がエコサイコロジーであり、何がエコサイコロジーではないのかを明確にするには、ロー
ザックのオリジナルの定義に立ち返るべきであると主張する。つまり、新しい定義や名称がローザックの2つの目的 ― 心理学のエコロジー化、エコロジーの心理学化 ― の両方、あるいはどちらか一方に一致するのであれば、それはエコサイコロジーであるし、一致しなければ、別の分野であると区分することができる。さらに、ヒバードはそれぞれのアプローチの深度(浅い/深い)をエコサイコロジーか否かの判断基準にすることを提案する。知的基盤の項で述べたように、エコサイコロジーはディープエコロジーの思想を取り入れているため、生態系の危機と関連のある人間と自然との相互関係性に対して深い問いかけをすることは不可欠である。例えば、その2で述べたハワード(Howard, 1997)のエコロジカル・サイコロジーは、西洋的世界観や心理学の基本的前提に対して疑問を持っていないので、そのアプローチは浅いといえる。一方、ウインターWinter, 1996)は西洋的世界観の前提には疑問を呈してはいるが、心理学の前提への疑問は不十分である。

 しかし、ローザックはエコサイコロジーを「新たな統合(emerging synthesis)」13 であると定義しており、後に「エコサイコロジーは多数の意見とのオープンな対話を意図している」14 と述べていることに注意する必要がある。つまり、ローザック自身は様々な情報源からの知識にオープンであり、それを歓迎さえしている。しかし、それらの情報源が正当なもの、つまりエコサイロジーの目的を促進するものである場合のみ認められる。

 エコサイコロジーは心理学の新しい下位区分(subdiscipline) なのか、という問題に関して、ローザックは次のように述べている。「われわれ〔the Bay Area Ecopsychology Group〕はエコサイコロジーを新たな治療原理、または新たなイデオロギー陣営とは捉えていない。われわれの目的は、地球との持続可能な関係を築くための取り組みに取って代わることではなく、それを補うことである」。15 メツナー (Metzner)もこの点に関して次のように述べている。
この分野[エコサイコロジー]に属するわれわれは、心理学の新しい下位区分の創設や、臨床心理学、社会心理学、発達心理学など他の分野への参入を主張するつもりはない。むしろ、われわれは、心理学とは何か、また第一に何をするべきだったのかを根本から再想定(re-envisioning)すること ― 人間生活のエコロジカルな文脈を考慮に入れる改革 ― について話している。16
このことから、メツナーはエコサイコロジーよりも「グリーン・サイコロジー(green psychology)」という名称を好んで使用している。グリーン・サイコロジーの方が心理学の全原理の緑化という意味合いを表していて、新たな心理学の下位区分の創設という誤認を避けられるからである。


 ヒバードは、1992年に出版されたローザック著『The Voice of the Earth』は、エコサイコロジーの名称、定義、そしてそのヴィジョンが明確に述べられたという点で最も影響力があり、ローザックによるオリジナルの定義を支持することが必須であると主張する。つまり、新たになされる定義はローザックのものに敬意を表し、またその立場を明確に線引きする責任があると述べる。


〈註〉 
13. Roszak 1995, pp.4-5.
14. Roszak 1997
15.Roszak 1994, 1
16. Metzner 1999, p.2


〈参考文献〉
Bell, P., T. Greene, J. Fisher, and A. Baum (1996). Environmental Psychology. Orlando, FL: Harcourt Brace.

Clinebell, Howard (1996). Ecotherapy: Healing ourselves, healing the earth. Minneapolis, NM: Fortress Press.

Gifford, Robert (1997). Environmental psychology: Principles and practice. Boston: Allyn and Bacon.

Hibbard, Whit (2003). Ecopsychology: A review. The Trumpeter 19(2): 23-58

Howard, George S. (1997). Ecological psychology: Creating a more earth-friendly human nature. Notre Dame:
University of Notre Dame Press.

Kidner, David W. (1994). Why psychology is mute about the environmental crisis. Environmental Ethics 16: 359-376

Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

Roszak, Theodore (1992/2001). The Voice of the earth: An exploration of ecopsychology (2nd ed.) Grand Rapids, MI: Phanes Press.

Roszak, Theodore (1994). The greening of psychology: The Ecopsychology Newsletter 1(1): 6.

Roszak, Theodore (1995). Where psyche meets Gaia. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology:

Restoring the earth, healing the mind (pp.1-17). San Francisco: Sierra Club Books.

Stokols, D., and I. Altman, eds. (1987). Handbook of environmental psychology. New York: Wiley.

Winter, Deborah D.N. (1996). Ecological psychology: Healing the split between planet and self. New York: Harper Collins.


エコサイコロジーの定義と境界 その3

エコサイコロジーの定義と境界 その1
エコサイコロジーの定義と境界 その2


 次に、エコサイコロジーと「環境心理学(environmental psychology)」にはどのような違いがあるのかをみてみよう。名称の問題の項でも述べたように、両者はその名称から混同されることがあるが、それぞれの定義は異なり、別の分野であると捉えなけらばならない。


 キドナー(David W. Kidner, 1994)によると、環境心理学とは「主としてストレス、公害、騒音、都市化、過密化など、特定の環境要因が個人に与える影響に関するものである」。6 一方、エコサイコロジーの一番の関心事は、人間が環境に与える影響であり、正反対である。メツナー (Ralph Metzner,1999)はこの点を次のようにまとめている。「エコサイコロジーは、主に制度的環境が心理状態に与える影響を扱う環境心理学の変種ではない」7 また、フィッシャー(Andy Fisher, 2002)は、エコサイコロジーは環境心理学が持つ従来の科学的世界観や方法論、技術主義的な精神、人間中心主義に異議を唱えるものであり、環境心理学よりもさらに急進的であると述べている。ローザックは自身のエコサイコロジーの定義に関する最近の議論の中で、「“環境心理学”と呼ばれる十分に発達した分野」を知ってはいるが、環境保護論者と心理学者との対話を支えるには不十分であると述べている。なぜなら、環境心理学の関心は「都市生活の建築的環境であり、私たちの自然からの疎外に関して言えば、それは解決というより問題である」。8

 次に挙げる環境心理学の3つの文献のレビューも、キドナー、メツナー、フィッシャー、ローザックによる評価を支えるものになるだろう。例えば、ストコルスとアルトマン(D. Stokols & I. Altman, 1987)は環境心理学を「社会物理的環境との関係における人間の行動と幸福(well-being)の研究」と定義している。9 ベルら(P. Bell et al, 1996)は、環境心理学の主要な関心は「行動や心的状態への決定要因や影響力としての環境」であると述べている。10 また、ギフォード(R. Gifford, 1997)は「私たちの自然環境との関係を改善することや…自然資源の管理」11 に関心を示してはいるが、環境心理学を「個人と物理的環境との相互作用の研究」と定義している。12 これら3つの文献は環境心理学を従来の科学的パラダイムに確固として位置づけ、基本的前提に深い問いを投げ掛けたり、それに挑もうとしていない。これはエコサイコロジーの姿勢と正反対であるといえる。しかし、環境心理学がエコサイコロジーにとって何の重要性も持たないということではないし、実際、多くの学ぶべき研究がなされており、両者の相補的な発展が期待できるであろう。


〈註〉
6. Kidner 1994, p.368
7. Metzner 1999, p.183
8. Roszak 1992/2001, p.323
9. Stokols and Altman 1987, p.1
10. Bell et al. 1996, p.4
11. Gifford 1997, p.1,4
12. Gifford 1997, p.1


エコサイコロジーの定義と境界 その2

エコサイコロジーの定義と境界 その1

 その1で確認したように、ローザックの定義では、エコサイコロジーとは「心理学的なものと生態学的なものとの新たな統合」であった。しかし、この定義を拡大したり、改変しているものや、表面上はローザックのものと異なる目的や姿勢を示すため、新たに名前をつけているものもある。ではここで、3つの文献を例に挙げ、それぞれがローザックによる定義とどのような違いがあるのかをみていきたい。

1.ウィンター(Deborah Du Nann Winter)の『Ecological Psychology(エコロジカル・サイコロジー)』
 
 タイトルから判断すれば、ウィンター著の『Ecological Psychology: Healing the Split Between Planet and Self』はロ
ーザックのオリジナルの定義や主張に一致したエコサイコロジーと捉えられるかにみえる。しかし、ウィンターの考えはローザックに由来するものではない。ウィンターは「心理学の未来への新しい方向性、エコロジカル・サイコロジーを提案」したいと述べ、それを「持続可能な世界を築くための、物理的、政治的、スピリチュアルな文脈における人間の経験と行動の研究」であると定義している。その中心にある問題は「ますます壊れ行く生態系でどのように生きてゆくのか」である。2 ローザックのエコサイコロジーとウィンターのエコロジカル・サイコロジーとの主要な違いは、ローザックが従来の心理学を脱構築し、その全体をエコロジカルな文脈と感受性で改正することを主張しているのに対し、ウィンターは環境問題の理解と解決のために、心理学の主要学派の理論や方法論を融合して適用することを主張しているところにある。

2.ハワード(George S. Howard)の『Ecological Psychology(エコロジカル・サイコロジー)』

 ハワード著の『Ecological Psychology: Creating a More Earth-Friendly Human Nature』も、一見するとエコサイコロジ
ーと同じにみえる。しかし、ハワードは自身のエコロジカル・サイコロジーを定義しておらず、ローザックのエコサイコロジーやウィンターのエコロジカル・サイコロジーとも関連付けてはいない。ハワードは自身のエコロジカル・サイコロジーの主要目的を「地球にやさしい人間性の促進を意図した、我われの考え方や行動のし方における建設的な変化を育成すること」としている。3

3.クラインベル(Howard Clinebell)の『Ecotherapy(エコセラピー)』

 クラインベル著の『Ecotherapy: Healing Ourselves, Healing the Earth』もタイトルは上記の2つの例と似ている。しかし、クラインベルはエコサイコロジーとエコセラピーの概念の違いを次のように明らかにしている。「エコセラピーは、地球との健全な相互作用によって育まれる癒しと成長のことを言う」。一方、エコサイコロジーは「いわゆる“心理学の緑化”」を指す。4 エコサイコロジーが心理学の緑化を指すものであるという点は正しいが、クラインベルはエコサイコロジーが有効なエコセラピー的要素を持つことを認めていない。さらにクラインベルは、エコロジーの心理学化はサイコエコロジー(psycoecology)という分野のものであると断言しているが、これはローザックの主張を誤解している。


 ウィンターは自身のエコロジカル・サイコロジーをローザックのエコサイコロジーとは距離を置いたものとし、ハワードは単にその関連性に触れず、クラインベルはエコサイコロジーへの恭順を示さないだけではなく、誤った定義をすることによってローザックの定義の半分を消してしまっていると考えられる。ウィンターとハワードのエコロジカル・サイコロジーはそのアプローチに浅さがみられるが、心理学を用いて環境問題にポジティヴな影響を与えようとすることは、ローザックの二つめの目的 ―エコロジーの心理学化― に忠実である。また、ローザックは定義上、「心理療法的なものや精神医学的なものも含め」ようとしており、エコセラピーをエコサイコロジーの中へ組み入れている。5
 
〈註〉
2. Winter 1996, p.283
3. Howard 1997, p.1
4. Clinebell 1996, p.xxi
5. Roszak 1995, p.4



エコサイコロジーの定義と境界 その1

 エコサイコロジーは、一般に受け入れられた明確な定義を持っていない。そのため、(名称の問題の項でも述べたように)エコサイコロジーやそれに近い名称を名のるものであっても、それぞれが持つ定義には相違がみられ、エコサイコロジーとは異なる分野との混同を招くことがある。ヒバード(Whit Hibbard, 2003) は、エコサイコロジーの定義と他の分野との境界に関する問題について論じており、ここでは彼の議論をレビューしていきたい。

 ヒバードは、以下の疑問に答える形でエコサイコロジーの定義を明らかにしようとしている。
エコサイコロジーとは何か、つまりどうのように定義されるのか; エコサイコロジーは「エコロジカル・サイコロジー(ecological psychology)」、「サイコエコロジー (psychoecology)」、「エコセラピー (ecotherapy)」、「グリーン・サイコロジー (green psychology)」と同じなのか;エコサイコロジーは「環境心理学 (environmental psychology)」とどのように違うのか;エコサイコロジーは心理学の新しい下位区分(subdiscipline) なのか。

 まず始めにエコサイコロジーの提唱者であるセオドア・ローザック(Theodore Roszak)によるオリジナルの定義からみてみよう。1992年の著作『The voice of the earth』でローザックは初めて“サイコロジー(心理学)”に“エコ”の接頭語を付け、それには「心理学のエコロジー化(ecologizing psychology)」と「エコロジーの心理学化(psychologizing ecology)」という2重の目的があると宣言している。ローザックは一つめの目的に関して、もし心理学が環境危機に対して建設的な影響を与えるのならば、従来の心理学の理論と実践をエコロジカルな文脈で捉え直すことが必要不可欠だと主張する。二つめの目的に関しては、環境保護運動も「新たな心理的感受性」を必要としており、いかにして私たちの環境破壊的な行動を変えようという気にさせるのかなど心理学に学ぶべきことが多いと述べる。それから3年後の1995年に出版されたアンソロジー『Ecopsychology: Restoring the Earth, Healing the Mind』の中で、ローザックは次のように述べ、独自の定義を強化している。
エコサイコロジーは、この心理学的なもの(ここには心理療法的なものや精神医学的なものも含めようとしている)と生態学的なものとの新たな統合に対して最もよく使われる名称である。…[他にもいくつかの名称が提案されているが]名前は何であれ、エコロジーは心理学を必要とし、心理学はエコロジーを必要とする、という基本的前提は同じである。1

つまり、ローザックにとって、エコサイコロジーとは、心理学的なものと生態学的なものとの新たな統合(the emerging synthesis of the psychological and the ecological)である。


〈註〉
1. Roszak 1995, pp.4-5.


エコサイコロジー:その名称の問題

 エコサイコロジーとは、心理学的なものと生態学的(エコロジー)なものとの統合を試みる新たな学問分野に対してローザック(Theodore Roszak) によって名付けられた名称である。エコサイコロジーに代わる名称として、ローザックは、『サイコエコロジー: psychoecology』 (Greenway)、『エコセラピー: ecotherapy』 (Clinebell)、『地球のセラピー: global therapy』、『グリーンセラピー: green therapy』、『地球中心のセラピー: Earth-centered therapy』、『リ・アーシングre-earthing』、『自然に基づいた心理療法: nature-based psychotherapy』、『シャーマニック・カウンセリング: shamanic counseling』、『森林セラピー: sylvan therapy』を挙げている。ローザックいわく、「名前は何であれ、エコロジーは心理学を必要とし、心理学はエコロジーを必要とする、という基本的前提は同じである。」1 しかし、それぞれの名称が持つ定義は、ローザックの提唱する定義と異なるものもあるので注意が必要である。

 スカル(John Scull, 1999) は、エコサイコロジーとよく似た名称であるが区別する必要のある分野として以下のものを挙げる。

1. Ecological psychology: 生態(学的)心理学
この名称は主に「アフォーダンス理論」で知られるギブソン(J.J. Gibson)やリード(E.S. Reed) らの知覚心理学や進化論を指すものである。しかし、シューワル(L. Sewall) は、知覚心理学の学説がいかにエコサイコロジーと関連しているかを論じており、この分野がエコサイコロジーの発展に寄与している点も少なくない。ウィンター(D.Winter) の著作Ecological Psychology: Healing the split between planet and self』は、タイトルには生態心理学の名称が用いられてはいるが、副題が示すように、内容はエコサイコロジーに近いものである。

2. Environmental psychology: 環境心理学
環境心理学は、人間と「環境」との相互関係を対象とする心理学の1分野である。この分野が扱う「環境」とは、地球・自然環境だけではなく、住環境や都市環境、労働環境やパーソナルスペースといった人間によって創られる社会環境も含む。従来、この分野が焦点を当ててきたのは、後者の「環境」である。しかし、近年は地球環境問題や環境配慮行動へのアプローチを試みる環境心理学の研究が大きく展開されており、エコサイコロジーの領域とオーバーラップすることも増えてきている。

3. Deep Ecology: ディープエコロジー
前回の項で述べたように、ディープエコロジーはエコサイコロジーの知的基盤を成しており、多くの共通項がみられる。特にネス(A. Naess) の「エコロジカルな自己(ecological self)」や「拡大自己実現(Self-Realization)」、またそこから派生したフォックス(W. Fox) の「トランスパーソナル・エコロジー(Transpersonal ecology) は心理学的な理論であり、エコサイコロジーの発展に大きな影響を与えている。しかし、ディープエコロジーが哲学的立場に立脚していることや社会運動としての性格を強調する点において、エコサイコロジーとの違いもみられる。ジョアンナ・メイシー(Joanna Macy)やジョン・シード(John Seed) らは自身の活動をディープエコロジーと称しているが、エコサイコロジーの実践とも非常に
近いと言える。


〈註〉
1. Roszak1995, pp.4-5.

〈参考文献〉
Clinebell, Howard (1996). Ecotherapy: Healing ourselves, healing the earth. Minneapolis, NM: Fortress Press.

Fox, Warwick (1990). Toward a transpersonal ecology: Developing new foundations for environmentalism. Boston: Shambhala.

Greenway, Robert (2000). Ecopsychology: A personal history.
http://www.ecopsychology.org/journal/gatherings/personal.htm

Naess, Arne (1995). Self-Realization: An ecological approach to being in the world. In A. Drengson & Y. Inoue (Eds.), The Deep ecology movement: An introductory anthology (pp.13-30). Berkeley, CA: North Atlantic Books.

Reed, Edward S. (1996). Encountering the world: Toward an ecological psychology. New York: Oxford University Press.

Roszak, Theodore (1992/2001). The Voice of the earth: An exploration of ecopsychology (2nd ed.) Grand Rapids, MI: Phanes Press.


Roszak, Theodore (1995). Where psyche meets Gaia. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology: Restoring the earth, healing the mind (pp.1-17). San Francisco: Sierra Club Books.

Scull, John (1999). Ecopsychology: Where does it fit in psychology?
http://members.shaw.ca/jscull/ecointro.htm

Seed, J., Macy, J., Fleming, P. & Naess, A. (Eds.). Thinking like a mountain: Toward a council of all beings. Philadelphia: New Society.

Sewall, Laura (1995). The skill of ecological perception. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology: Restoring the earth, healing the mind (pp.201-215). San Francisco: Sierra Club Books.

Sewall, Laura (1999). Sight and sensibility: The ecopsychology of perception. New York: Jeremy P. Tarcher/Putnam.

Winter, Deborah (1996). Ecological psychology: Healing the split between planet and self. New York: Harper Collins.


エコサイコロジーの知的基盤 その2

エコサイコロジーの知的基盤 その1

4.
ディープエコロジー (deep ecology)

 ジョージ・セッションズ(George Sessions) によると、ディープエコロジーは 「1960年代のエコロジー革命と呼ばれる時期における哲学的かつ科学的な社会・政治運動」として発生した。ディープエコロジーが主に重視しているのは、「近代の工業的に発展した社会の環境破壊的な進路を方向転換する基礎として、大きなパラダイムシフト ―認識、価値観、ライフスタイルの転換― を引き起こすことである」。2

セッションズは、ディープエコロジーを特徴づけるものとして次のものを挙げている。
(a)人間中心主義から生態系中心主義(ecocentrism)、生命圏平等主義(biospherical egalitarianism)、社会運動への移行
(b)深い問いかけを積極的に行うこと、つまり、生態的危機の原因を探る上で基本的前提となっているものの正当性を疑うこと
(c)文明は自然を〈超越〉し、自然から〈進化した〉ものだと考える「第二の自然」的観点を拒否すること

5. エコフェミニズム(ecofeminism)
 エコフェミニズムは、女性と自然との関連性に対する意識の高まりとともに1970年代に発生した。エコフェミニズムの重要な見識は、ウォレン(Karen Warren) によると、「女性の支配と自然の支配には重大な関係がある」ということである。3 問題は、ディープエコロジーが主張する人間中心主義ではなく、もっと厳密に言えば、女性や自然を搾取することを認める抑圧的で家父長的な社会構造や階層制にみられる男性中心主義(androcentrism) であると主張する。


 以上みてきたように、環境保護運動、環境神学、環境哲学、ディープエコロジー、エコフェミニズムがもたらしたものは、環境保護の考えや認識との関係における人間中心的、男性中心的、家父長的、階層的、西洋のユダヤ-キリスト教的世界観への系統だった批判と脱構築である。そしてこれは以下のことを引き起こした。
(a)一般の人々の生態学的危機への関心を高めること(環境保護運動)
(b)神の創造物や霊性的コミュニティの一部としてすべての自然を捉えなおすことと、キリスト教の理念として健全なスチュアード精神を形成すること(環境神学)
(c)道徳的配慮や自然の権利を動物、植物、生態系、ガイアを含むより大きなコミュニティまで拡大すること(環境哲学)
(d)支配的な西洋の人間中心、第二の自然的世界観を分析し、生態系中心、平等主義的世界観の可能性を議論すること(ディープ エコロジー)
(e)自然の侵害と、家父長的な支配階層制における女性の侵害との関連性に対する意識を高めること(エコフェミニズム)

これら環境学の諸分野が形成した知的基盤が、心理学者が自身の専門分野を生態学的危機と関連づけて研究し、人類の心理的健康と惑星の健康とは密接に結びついた不可分のものであるという命題を打ち立てる要因となった。


〈註〉
2.Sessions 1995, p.ix
3.Warren 1998, p.264

〈参考文献〉
Hibbard, Whit (2003). Ecopsychology: A review. The Trumpeter 19(2): 23-58

Nash, Roderick F. (1989). The rights of nature: A history of environmental ethics. Madison, WI: University of Wisconsin Press.-松野弘訳『自然の権利:環境倫理の文明史』(筑摩書房,1999

Sessions, Geroge, ed. (1995). Deep ecology for the 21st century. Boston: Shambhala.

Warren, Karen (1998). Introduction: Ecofeminism. In M. Zimmerman (Ed.), Environmental philosophy: From animal rights to radical ecology. Upper Saddle River, NJ: Prentice Hall.

Zimmerman, M., ed. (1998).
Environmental philosophy: From animal rights to radical ecology. Upper Saddle River, NJ: Prentice Hall.



エコサイコロジーの知的基盤 その1

 エコサイコロジーの知的基盤を形成しているものとして、ヒバード(Hibbard, 2003)は、環境保護運動とそこから派生した環境学の諸分野、特に環境神学(ecotheology)、環境哲学(ecophilosophy)、ディープエコロジー (deep ecology)、エコフェミニズム(ecofeminism)を挙げている。

1. 環境保護運動
 エコサイコロジーは、最も広い意味で言うと、近代の工業文明が環境危機を引き起こしているという認識に応じて1960年代より展開されてきた環境保護運動から生まれ出たものといえる。フォックス(Fox, 1995) によると、環境運動の始まりは、1962年に出版されたレイチェル・カーソン(Rachel Carson) の『沈黙の春(Silent Spring)』が環境問題への大衆的な関心を呼び起こしたことがきっかけだという。環境保護運動の揺るぎない貢献は、深刻な環境問題が起こっているという事実を公的な議論の最前線へと推し進めたことである。その認識は、専門の学問領域が環境問題に取り組む勢いを与え、大衆の意識を〈緑化〉することに貢献し、後に出現するエコサイコロジーにとって必要となる知的基盤を築くことになった。

2. 環境神学(ecotheology)
 リン・ホワイトJr.Lynn White Jr.) は1967年に発表した衝撃的な論文『現在の生態学的危機の歴史的根源 (The Historical Roots of Our Ecological Crisis)』で、恥ずかしげもないほど人間中心的なユダヤ-キリスト教的世界観が、自然を無条件に支配することや開発することを認めていると非難した。ホワイトの論文はユダヤ-キリスト教的伝統における環境保護の意味合いについての議論をもたらし、環境神学という新分野の誕生を促した。環境神学者たちは、アジアや固有民族の宗教的伝統と同様に、キリスト教やユダヤ教にも環境に対する責任を負わせるため、特にその霊性的コミュニティを自然やすべての生き物を含むまで拡大することによって、彼ら自身のユダヤ-キリスト教的伝統を追求してきた。

3. 環境哲学(ecophilosophy)
 神学の緑化が近代の自然に対する認識や姿勢を変化させることに重大や役割を担ったことと同様に、哲学の緑化も等しく重要なものであった。人間の自然への倫理的関係性は、重大な哲学的議論の論点ではなかった。それが「道徳的な立場は人間とともに始まり、人間とともに終わるのではない」という哲学上の問題として議論に立ち上ってきたのは、「1970年代になって、環境への関心が高まると同時に、哲学者たちも今日的な課題に対して、自分たちの能力をかつてないほど熱心に活用したいという気持ちにかられ、新しい分野としての「環境哲学」をつくり出し」てからのことである。1 ジマーマン(Zimmerman, 1998)によると、環境保護運動は非常に説得力を持っていたので、環境問題に関心を持つ新世代の哲学者が倫理的責任感の問題を含む人間の自然との関係性の根本的な問題を提起することに影響を与えたという。 


〈註〉
1. Nash, R 1989, pp.122-123. 松野訳の日本語版を参照。