人間-自然関係の精神病理 その8:エコロジカルな無意識の抑圧

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エコロジカルな無意識の抑圧 (Repression of the Ecological Unconscious)

 エコサイコロジーの提唱者セオドア・ローザック (Theodore Roszak) は、「工業社会に見られるなれあい的狂気は、エコロジカルな無意識の抑圧に深く根ざしている。エコロジカルな無意識との自由な行き来こそ、健全さへの道である」と述べている。1 ローザックによると、ユングの集合的無意識の概念は、後に全人類の宗教的象徴であるという点が強調されるようになったが、本来は前人類の動物や生態的元型 (archetype) を含むものであった。ローザックはその本来の意味を汲み、「宇宙進化の生きた記録」として、「エコロジカルな無意識(ecological unconscious)」と呼ぶことを提案している。
 
 しかし、メツナーは「エコロジカルな無意識」という名称には異議を唱えている。私たちは「無意識」ではなく、「エコロジカルな意識(ecological consciousness)」を育成しようとしているため、その概念を「無意識」として具体化することは、その理解を無意識なままにしてしまうおそれがあるという。メツナーはより良い名称として、アルド・レオポルド (Aldo Leoplod) の「エコロジカルな良心 (ecological conscience)」を挙げている。「良心」という言葉には、道徳的価値や倫理的配慮を含意しているからである。

 また、ローザックはフロイトのイド (id) を回復することを試みている。それはフロイト自身が考えた、色好みの捕食動物のようなものとしてのイドではなく、古代のエコロジカルな智慧の貯蔵庫として見るべきイドである。「生命圏の保存をめぐる地球の同盟者としてのイド。(そして)ガイアはイドという入り口から私たちのところへ手を伸ばしてくる」。2
 
 しかし、メツナーはこの考えがローザックの試みを適えるものではないと考える。西洋の近代的な子育てによって、子どもが生まれながらに持つエコロジカルな感性の大部分が押し殺されているということは真実である。しかし、その一方、伝統的な社会におけるエコロジカルな知識や、自然への崇敬の念は両親や年長者から子どもへと受け継がれるものであり、そうした養成の過程なくして発現するものではないということも真実である。これこそ、伝統的文化の崩壊が環境の荒廃を招いているという理由のひとつである。古代の伝統が持つ儀礼行為の復興や、強力なエコロジカル・リテラシー(ecological literacy: 環境を読み取る能力)によって補われないかぎり、「エコロジカルな無意識との自由な行き来」が意味するものはなんであれ、健全さへの道には不十分である、とメツナーは述べている。


〈註〉
1. Roszak 1992 / 2001, p.320 木幡訳の日本語版を参照。
2. Roszak 1992 / 2001, p.291


〈参考文献〉
Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

Roszak, Theodore (1992 / 2001). The voice of the earth: An Exploration of ecopsychology (2nd ed.). Grand Rapids, MI: Phanes Press.― 木幡和枝訳『地球が語る-宇宙・人間・自然論』(ダイヤモンド社,1994

人間-自然関係の精神病理 その7:健忘

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人間-自然関係の精神病理 その6

健忘 (Amnesia)


 メツナーが次に挙げる有用な診断アナロジーは、生物種としての私たちがある種の集団的健忘症にみまわれているという考えである。私たちは、かつて祖先たちが知り、実践していたこと -ある種の心構えや知覚、人間以外の生命に共感したり、同一化する能力、神秘的なものへの敬意、自然世界の無限の複雑性との関係に対する謙虚さ- を忘れてしまっている。人間の意識の歴史における数々の決定的なターニングポイントで、私たちはある特別な発達の道を選んだため、何か他のものを忘れ、放置してしまった。
 
 メツナーは健忘のメタファーを、ポール・シェパードの見解(「その3」を参照)に当てはめて考えている。つまり、私たち
は青年期の通過儀礼を忘れ、新石器時代の狩猟採集民が持っていた謙虚さや繋がりを忘れ、自然世界内で起こるエネルギー変換の絶え間ないサイクルへの知覚感受性を忘れたのだという。デヴリュー (Paul Devereux) らは著作『Earthmind』で、健忘について次のように述べている。
私たちは長い間、かつての地球との親近性を思い出せないままでいる。この健忘のおかげで、今、私たちに押し迫ってくる環境問題は衝撃となってきている。… 実際には2重に忘れているという健忘が発現していることに気づく。文化が惑星との調和した生きかたを忘れていることと、それを忘れてしまったことをも忘れていることだ。1
 この健忘のメタファーをさらに深めると、「心的外傷性健忘 (traumatic amnesia)」の可能性も検討できる、とメツナーは言う。児童虐待やレイプ、戦争における戦闘、事故や自然災害などの体験が及ぼす影響についての研究から、人が全く自分ではどうすることもできない、不可抗力の状況でトラウマを体験すると、たとえ身体への物理的な影響や、悪夢やパニック発作などの症状が残ったとしても、その体験の記憶は失われてしまうということが明らかになっている。この考え方を、新石器時代の文化にとって正常、かつ自然だったと思われる自然との相互依存的な繋がりの知識を忘れてしまったという人間の健忘症に当てはめたならば、次の疑問が浮かぶ:この繋がりと調和の感覚を脅かした恐ろしい出来事は存在したのだろうか。

 メツナーはそうした出来事の候補として、広範囲にわたる生命の損失や移住を余儀なくされることを伴う火山や地震災害、長期的な雨季や旱魃、急激な気候変動、略奪戦闘集団による侵攻などを挙げている。たとえば、中世ヨーロッパでのキリスト教による自然崇拝宗教への猛攻撃や、14世紀の人口の3分の1を壊滅させたペスト(黒死病)もトラウマを与える出来事だったと考えられる。

 健忘のアナロジーは期待が持てるものだ、とメツナーは言う。なぜなら、全く新しいものへ適応していくことよりも、かつて知っていたものごとを思い出すことのほうが容易いからである。また、南北アメリカ、東南アジア、オーストラリアに住む先住民族は、彼らの生活様式の中で守り、維持してきたある種の不可欠な行為や価値 -〈文明化〉した人間が忘れてしまったもの- を、私たちに思い出させてくれる。


〈註〉
1. Metzner 1999, p.91 より引用


〈参考文献〉
Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

人間-自然関係の精神病理 その6:ナルシシズム

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ナルシシズム (Narcissism)


 地球規模で展開される生態系破壊の原動力となっているもののひとつに、特に極度に工業化・近代化した社会における過剰消費の問題が挙げられる。消費主義 ―より多くの人々がより多くのモノを欲しがり、購入する― は、前回紹介した、個人レベルにおける強迫行為・嗜癖メタファーの集合的な表れとして見ることができる。消費は広告宣伝によって、大規模、且つ、人為的に極端なレベルまで推し進められているが、そこには私たちの心の中に潜むナルシシズム(自己愛)が大きなな役割を担っていると示唆する多くの証拠が存在する。ナルシシズムとは、膨張した誇大な自己イメージや、深層にある無価値感や空虚さを覆い隠すため特権意識を持つことなどを特徴とする人格障害である。

 心理学者のクッシュマン (Philip Cushman) は、ナルシシズムと消費文化の明白な類似性を引き出している。より高価でより技術的に進歩した消費財を絶え間なく追い求めることは、「偽りの自己 (false self)」を満足させる。安定のない、空虚な内なる本当の自己は不安にさらされ、傷を負ったままであるのに、偽りの自己はモノを買うことで内なる空虚さを埋めようとすることを駆り立てる。クッシュマンが言うように、「空虚な自己は、ますます大きくなる疎外と戦うために、モノ、カロリー、経験、政治家、恋愛のパートナー、共感してくれるセラピストを消費することによって、絶えず満たされる経験を求める」1

 エコサイコロジストのカナー (Allen Kanner) とゴメス (Mary Gomes) は、こうした一連の研究の幅を広げ、もしアメリカ文化が集団ナルシシズムに陥っているという診断が正しいならば、それは環境保護論者にとって困難な課題になると言う。平均的な消費者は心の中で不十分さを感じ、その無価値さを癒すため、もっと浪費させようと企む嵐のような広告の爆撃を絶えず受け続ける。したがって、環境保護論者が物質消費をもっと減らそうと嘆願しても、権利主張や恐れによって聞こえなくなった消費者の耳には届かないかもしれない。「過剰な物質主義だと彼ら(消費者)を非難すれば、環境に関した彼らの習慣を大幅に変えることになるよりも、むしろそうした忠告が、主として彼らの全体的な挫折感を増幅させるおそれがある」2


〈註〉
1.Kanner and Gomes 1995, p.79より引用
2.Kanner and Gomes 1995, p.89

〈参考文献〉
Kanner, Allen and Gomes, Mary (1995). The all-consuming self. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology: Restoring the earth, healing the mind (pp.77-91). San Francisco: Sierra Club Books.

Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

人間-自然関係の精神病理 その5:嗜癖

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人間-自然関係の精神病理 その4

嗜癖 (Addiction)


 この40年間、科学者や専門家たちは、世界規模で展開する環境破壊の恐ろしく、心を硬直させるような状況を細部にいたるまで説明してきた。しかし、それでもなお、私たちが自殺的で環境破壊的行為を止めることができないのは、嗜癖 (addiction) や強迫行為 (compulsion) ―それが家族、仕事、社会的関係を壊すものだと知りつつも続けられる行為― の臨床定義と一致する。このメタファーは、大きなスケールで捉えると、苦悩や不満は全人間の避けられない特性であり、渇望や欲望が苦悩の根源であると説くアジアの霊性的伝統、特に仏教の教えにも相当する。

 ディープエコロジストのラシャペル (Dolores LaChapelle) はこの嗜癖という概念を用い、金、銀、砂糖、薬物など依存性のある物質への飽くなき追求と、16世紀から現在に至る資本集約型工業社会の驚くべき成長との相関関係を分析している。ラシャペルいわく:
資本主義の発展全体は、人々の集団をある〈物質〉に依存させ、それを彼らに売りつけることによって成り立っている。私たちが安価な天然資源の膨大な産地を持つ限りにおいて、資本主義は〈機能していた〉。その〈嗜癖〉の歴史は続いているので、いまや資本主義は成長への燃料を補給するため、さらにも増して依存性薬物に頼っている。1
 もっと一般的に、消費主義の拡大や工業経済成長への強迫観念を嗜癖的社会の表れとして見ることもできる。心理学者のグレンディニング (Chellis Glendinning) は、現代の工業文明にみられるより速く、より強力な機械への強迫的な渇望を、「テクノ依存症 (techno-addiction)」と診断している。グレンディニングは、私たちの自然からの分離を「原初のトラウマ (original trauma)」であるとし、テクノ依存症は再びこのトラウマを負わせることになるという。2

メツナーは、この嗜癖モデルを非常に有用とみている。過去40年間、私たちは嗜癖に関する事象、その治療法や防止法を学んできた。例えば、「アルコホーリクス・アノニマス (AA)」で使用される「12のステップ」は、嗜癖のサイクルを絶ちたいと願う人にとって魅力あるものであり、また、スピリチュアルな価値観を人々に訴えるものである。


〈註〉
1.LaChapelle 1988, p.48
2.グレンディニングいわく、
私たちのようなテクノロジーに生きる人々が被るトラウマとは、自らの生活を自然界から、ざらざらした手触りの巻き蔓から、太陽と月のリズムから、熊や木々の精霊から、生命力そのものから、組織的、意図的に隔てることだ。それはまた、自らの生活を自然世界のリズムの中で生きていた私たちの祖先の社会的・文化的体験から、組織的、意図的に隔てることでもある。(1995, pp. 51-52)

〈参考文献〉
Glendinning, Chellis (1995). Technology, trauma, and the wild. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology: Restoring the earth, healing the mind (pp.41-54). San Francisco: Sierra Club Books.

LaChapelle, Dolores (1988). Sacred land, sacred sex: Rapture of the deep. Durango, CO: Kivaki Press.

Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

人間-自然関係の精神病理 その4:自閉症

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自閉症 (Autism)

 神学者のトマス・ベリー (Thomas Berry)は、人間と自然との関係を自閉症という臨床心理メタファーを用いて論じている。ベリーいわく、自然世界との関係において
私たちは自閉的になってきている。地球、地形、大気現象や全ての命あるもの、山や渓谷、雨、風、惑星の全ての動植物が私たち語りかけていることに、もう耳を傾けていない。17世紀以来、ずっと私たちには聞こえていないし、自分たちに関する内なる世界を理解していない。私たちは外的な現象を体験している。内なる意味の世界に入り込めなくなっている。私たちにはその声が聞こえていない。1
上記の「17世紀」とは、デカルトの機械論的世界観の創案を指している。「デカルトは…地球とその全ての生きものを殺した。彼にとって自然世界は機械だった。交感関係へと入り込む余地は無かった」。2

 DSM-Ⅳ(精神疾患の分類と診断の手引 第4版)によると、自閉症とは、対人的相互反応における質的な障害、対人的または情緒的相互性の欠如、意思伝達の質的な障害、活動と興味の範囲の著しい限局性などを特徴とする
広汎性発達障害である。人間は自らを理解することや、自らに関する事柄に取りつかれていて、地球や自然のプロセスを理解しようとしていない。自閉症児が母親の存在を見聞きしたり、感じたりしていないかのように見えるのと同様に、私たちはこの生きている惑星の超自然的存在が見えなくなり、地球の声や、工業化以前の社会で祖先が育んできた物語が聞こえなくなってきている、とメツナーは言う。この自閉的な状況は、ベリーによると、「人間と自然世界との相互存在の新たな様式」によってのみ治癒されうる。


〈註〉
1
.
Berry, The Ecozoic Era (Short piece)
2. Berry, 1991


〈参考文献〉
American Psychiatric Association (1994). Diagnostic and statistical manual of mental disorders (DSM-Ⅳ) 4th edition. Washington, D.C.: American Psychiatric Association.高橋三郎・大野裕・染矢俊幸訳『DSM-IV 精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院,1995

Berry, Thomas (1991). "The Ecozoic era". Eleventh Annual E. F. Schumacher Lectures. Great Barrington Association, Mass.: E. F. Schumacher Society.

Berry, Thomas. The Ecozoic era (Short piece).

http://www.earth-community.org/images/The%20Ecozoic%20Era.pdf

Metzner,
Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

人間-自然関係の精神病理 その3:発達の固着

人間-自然関係の精神病理 その1
人間-自然関係の精神病理 その2

発達の固着 (Developmental Fixation) :ポール・シェパードの見解


 人間生態学者ポール・シェパード (Paul Shepard) は、著作『Nature and Madness(1982)で、人間の心理と繰り返される環境破壊行為の相互作用について論じた最初のエコサイコロジス
トと言うべき人物である。シェパードは西洋文明(特にユダヤ・キリスト教文明)の文化的精神病理を発達遅延(arrested development)と分析し、彼が「個体発生的障害 (ontogenetic crippling)」と呼ぶものを経験しているのだという。人間の環境破壊行為はまさにこの個体発生的障害の表れである。

 シェパードによる幼形成熟 (neoteny) と文化に提供される発達援助との相互作用の分析は特に興味深い。人間は成人に至るまでの未熟な期間や、養育者に依存する期間が他の生物と比べて長い、幼形成熟の生物種である。このため、文化によってに与えられる発達援助が不足したり、あるいは全くないような場合には破滅的な結果を招く。1 シェパードは旧石器時代の狩猟採集社会を生態学的にバランスのとれた生活様式のモデルとして挙げ、およそ1万2千年前の農耕社会の始まりによって、人間は何万年もの間健全に機能してきた発達の手段を失いだした、または誤用しだしたのだという。

 太古の発達様式が慢性的に不完全になりつつあると考えられるのは、幼児-養育者関係と青年期の通過儀礼の2つの段階である。シェパードによると、農耕畜産型社会が発達途上にある子どもと世界自然との間の距離を深め、それによって、完全に成熟した大人へと向かう重大な過程の中で直面する数々の問題に向き合うことを困難にしてしまった。

 エリクソン (Erick Erikson) の発達モデルでは、青年期は子どもが「自己同一性と自己同一性拡散」の対立に巻き込まれる時期である。エリクソンによると、この段階の混乱をうまく乗り越えられない若者は、「極端に排他的で不寛容であり、肌の色や文化的背景が〈異なった〉他者を排除することにおいて非情」になりやすい傾向があるという2 家族という母体からより大きな社会への過渡期を乗り越えるための手本となる体系を提供することは、伝統的社会にみられる通過儀礼が果たしてきた役割であった。現代においてこのような青年期の通過儀礼が急激に価値を失い、減少しているのは明らかである。今も残る成人男子の通過儀礼は軍の入隊式や、大学のフラタニティ(社交クラブ)入会のしごき、若いストリートギャングの仲間内での無益な儀式にのみ見受けられる。

 またシェパードは、青年期の通過儀礼の喪失に加えて、幼児と養育者との絆が形成される最初期の段階が中断されたり、妨げられたりした場合に発現する「調和異常」(unity pathology) と彼が呼ぶものについても指摘する。エリクソンの発達モデルによると、この段階は子どもの発達途上にある自己感が「基本的信頼と不信の対立」の問題に対処する時期である。この段階をうまく乗り越えられなかったならば、よくても慢性的な不安感をもつことになるか、最悪の場合、猜疑心をもち、妄想型の精神疾患による暴力へと向かう傾向もみられる。リードロフ (Jean Liedloff) によるアマゾンインディアンの母親と幼児の絆の研究と「連続性の概念 (continuum concept)」は、狩猟採取社会にみられる熱心な早期愛着関係が長期に渡る依存性を引き起こすのではなく、神経組織をよりよく機能させるというシェパードの主張を支えるものになる。

 シェパードは個体発生的障害説を次のようにまとめている。「人間はいまや世界中で最も薄弱な自己同一性構造を持つものかもしれない。旧石器時代の基準でいえば、幼稚な大人だ」。3 この集団的狂気が招くひどい結果のひとつは「私たちが漠然と期待を裏切られていると感じる自然の世界にいつでも歯向かおうとしていること」である。一方、自然の世界や社会が自分たちに必要なものを与えてくれるという基本的信頼を幼年期に築いた若者は、競争優位を得るための絶え間ない苦闘を要求する世界観に魅了されりはしないだろう。

 この集団的発達遅延への可能性ある治療法について、シェパードは多くを述べていない。しかしメツナーは、立派な年長者によって執り行われる通過儀礼を再び慣習化することや、幼少期の絆の脆さに対してもっと繊細な感性をもつことが、この病状を好転させるために必要になるだろうと言う。シェパードいわく:
自己と世界が生態学的に調和している感覚は…私たちみんなが受け継いできたものである。それは生物の中に、ゲノム(遺伝情報)と初期の経験との相互作用の中に潜在している。そうした初期の経験、漸成の過程は、人間と人間以外のものとが健全に交感しあっていた進化上の過去の遺産である。4

〈註〉

1.前回紹介した「人間優越コンプレックス」の形成に大きな関連性があると思われる。
2.Erikson 1980, p.97
3.Shepard 1982, p.124
4.Shepard 1982, p.128


〈参考文献〉
Erikson, Erik (1959 / 1980). Identity and the life cycle. New York: Norton & Co.

Liedloff, Jean (1977). The continuum concept. Reading, Mass.:Addison-Wesley.-山下公子訳『野生の旅:いのちの連続性を求めて』(新曜社,1984)

Metzner,
Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

Shepard, Paul (1982). Nature and madness. San Francisco: Sierra Club Books.

人間-自然関係の精神病理 その2:人間優越コンプレックス

人間-自然関係の精神病理 その1

人間中心主義と人間優越コンプレックス (Anthropocentrism and the Human Superiority Complex)


 人間という生物種の生態学的不適応性を哲学的に診断すれば、人間中心主義 (anthropocentrism, homocentrism) の概念が挙げられる。それに対し、この不適応性を改正するものが、生命中心主義 (biocentrism) や生態系中心主義 (ecocentrism) である。人間中心主義への批判は、特にノルウェーの哲学者アルネ・ネス (Arne Naess) や彼の提唱するディープエコロジーの賛同者によって明確に論じられてきた。人間中心主義という言葉が近代の世界観における人間の自然に対する姿勢への批判として用いられるのは、「自民族中心主義 (ethnocentrism)」が人種差別への批判として、また「欧州中心主義 (eurocentrism)」が西洋文化の植民地開拓イデオロギーの批判として用いられていることに相当する。 

 人間中心の姿勢が工業社会の生態学的不均衡を生み出し、それを悪化させてきたのは疑いないが、人間中心主義という言葉の使用に関して、メツナーは疑問を呈する。この言葉には2つの異なった意味合いが含まれているためである。Anthropocentricは文字通り「人間中心」を意味するが、人間は、他の生物と同様に、自らの生存優位性を最大限にしようと努めるため、自身の視点から世界を見ざるを得ない。したがって、非人間中心主義の立場というものは不可能であり不自然だ、とメツナーは言う。

 しかし、ディープエコロジストたちによる人間中心主義への批判は、単に人間中心の観点への執着を非難しているだけではない。そこには勝手に思い込んでいる優位性と他者を支配する権利
という意味合いが暗に含まれていることへの批判がある。これは「人間偏重主義 (human chauvinism)」や「人間帝国主義 (human imperialism)」、「種差別主義 (speciesism)」と呼ばれているものであり、人種差別主義 (racism) 、性差別主義 (sexism) 、階級差別主義 (classism)、民族主義 (nationalism) といった偏見のイデオロギーに相当するものである。これらいずれの偏見の形態にも、人間のある集団が、自らが他の存在(人間や人間以外のもの)よりも優れていると決めつけ、劣っていると判断されたものを支配し、利用する権利を思いのままにするといったことがみられる。今日の環境問題は、まさに他の生物種よりも優位であるという人間の思い込みによる種差別主義に根ざしている。

 これは人間中心の観点へ執着することとは全く異なる考えであるので、メツナーは人間中心主義の代わりに、この病理診断メタファーを「人間優越コンプレックス (human or humanist superiority complex)」と呼ぶ。創世記の創造神話に描かれる「支配」の比喩的表現をその源泉のひとつとしてみなすことができるだろう。「支配」とは、実際には「スチュアード精神 (stewardship)」であり、神の代理人として世界の世話を任されていることを意味すると主張するキリスト教神学者もいるが、多くのものにとっては、このスチュアード精神の概念もいまだ人間優位性の前提に成り立っているといえる。また、ダーウィン進化論の単純極まりない解釈も、人間が他の生物に比べてより複雑に進化を遂げたすぐれた動物だという考えを助長し、自然に手を加え、人間に見合ったように利用する知識と権利を有することを当然とみなすようになってしまった。


 「優越性の追求」や「力への意思」は、心理学者アドラー (Alfred Adler) の発達理論の中心概念である。アドラーは、意識的な優越感とは、無意識の劣等コンプレックスを常に補償するものであり、そうした劣等感は長期に渡る依存性や未熟さの結果として幼年期に自然と生じる傾向があると考えていた。この優越-劣等コンプレックスを人間の自然に対する横柄さに当てはめてみると、自然を征服し支配するという姿勢の裏には、自然世界への無意識の恐れや不全感が潜んでいるといえるだろう。


〈参考文献〉
Metzner, Ralph (1998). Pride, prejudice and paranoia: Dismantling the ideology of domination. World futures (51): 239-267

Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.

Nash, Roderick F. (1989). The rights of nature: A history of environmental ethics. Madison, WI: University of Wisconsin Press.-松野弘訳『自然の権利:環境倫理の文明史』(筑摩書房,1999)


人間-自然関係の精神病理 その1:病める生命圏

 多くのエコサイコロジストは、人間と自然との関係の破滅的な不均衡が地球環境破壊の根本的原因のひとつであると考えている。ラルフ・メツナー (Ralph Metzner) は、著作『Green Psychology(1999) の第6章『Psychopathology of the Human-Nature Relationship(人間-自然関係の精神病理)』で、医学や臨床心理学における様々な病理診断をメタファーとして用いて、人間がいかにして自然との病理的な疎外関係を生み出しているのか、またどのような治療法が考えられるかについて論じている。これから数回にわたって、メツナーの病理メタファーによる人間-自然関係の考察をレビューしていきたい。


病める生命圏 (The Ailing Biosphere)

 現在の地球という惑星を医学的に診断すれば、以下のような2つの病を患っていると考えることができる。

1.悪性腫瘍 (malignant tumor)

 悪性腫瘍は、無制限に増殖し、周囲の組織を破壊する異常細胞の集団である。地球をひとつの生命体と見るならば、人類や他の有機体はこの超生命体の細胞にあたる。今日、生態系の破壊を続ける人類の人口が生命圏のいたるところで加速度的に増え続けているさまは、まさに悪性腫瘍(がん細胞)の増加に例えることができるだろう。

 この悪性腫瘍という病理メタファーを用いるのならば、実際のがん治療のように、病巣を取り除くこと、つまり人類を地球上から排除することが唯一の方法だという考えも浮上してしまう。しかし、このような考えは病理アナロジーの誤った解釈だとメツナーは言う。がん治療には他にも様々なアプローチがあって、例えば食事、ライフスタイル、態度、自己概念を改善することも効果的な治療法である。また、がん細胞が増殖を止めることで組織が健康状態へと戻ったり、免疫システムが病原菌の数を許容可能なレベルまで下げるという自然完解 (spontaneous remission) の事例が数多く報告されている。こうした過度の増殖を防ぐ自然の抑制メカニズムは再活性されうる。このことは、個人が自覚して人口再生産率を制限することや、コミュニティが自覚して都市の無秩序な拡大に境界を設けることに類比することができるかもしれない。

2.寄生体感染 (parasitical infection)

 ガイア理論で知られるジェームズ・ラヴロック (James Lovelock) は、地球の生態系やエネルギー循環の構造や機能の科学を『地球生理学』として確立することを主張しており、地球の様々な症状を診断している。例えば、地球温暖化は「二酸化炭素による発熱」であり、酸性雨などの汚染は「酸による消化不良」と診断される (1988)。とりわけラヴロックが気に入ってる診断は、地球がホモ・サピエンスという種の寄生体に感染しているというものである。ラブロックは寄生体とホスト(宿主)の関係には以下の4つの起こり得る結果があると指摘する (1991)。

  1. ホストの免疫システムによって寄生体は撲滅される。

  2. ホストと寄生体は長期の消耗戦に入る。(慢性的な感染状態)

  3. 寄生体はホストを破壊し、自らの生命維持も失う。

  4. 寄生関係は相利共生 (mutualism)、あるいは共生 (symbiosis) 関係へと変化する。

4つめの共生関係へと進むことが最も望ましいシナリオである。共生が成立すればホストにも侵入者にも相互利益のある長続きする関係が保たれる。自然界には様々なスケールでこの種の共生関係へと至った前例がいくつもある。しかし、人間には賢明に行動してガイアとの共生を達成するのを困難にする生得的特性がある、とラヴロックは付け加えている 。



参考文献

Lovelock, James (1988). The ages of Gaia: A biographyof our living earth. NY: W.W. Norton and Co.-スワミ・プレム・プラブッダ訳『ガイアの時代:地球生命圏の進化』(工作舎,1989)

Lovelock, James (1991). Healing Gaia: Practical medicine for the planet. NY: Harmony Books.-糸川英夫監修『ガイア-生命惑星・地球』(NTT出版,1993)

Metzner, Ralph (1999). Green psychology: Transforming our relationship to the earth. Rochester, VT: Park Street Press.


エコサイコロジーの原則 (Full text)

1.心の核心はエコロジカルな無意識である。エコサイコロジーからすると、工業社会に見られるなれあい的狂気は、エコロジカルな無意識の抑圧に深く根ざしている。エコロジカルな無意識との自由な行き来こそ、健全さへの道である。

2.エコロジカルな無意識の中身は、ある程度、心性のなんらかのレベルにおいて、はるか昔の時間史の初期条件まで遡る、宇宙進化の生きた記録を象徴している。自然の秩序のある複雑性に関する現代の研究でわかることは、生命と意識はこの進化の物語から発したということであり、それらは、私たちが「宇宙」と呼んでいるさまざまな物理的、生物学的、精神的、文化的システムが順々に現れてくるなかで、自然システムの頂点を表している、ということだ。エコサイコロジーは、新しい宇宙論のこれらの発見を糧とし、それらを現実のものとして体験することを目指している。

3.無意識の抑圧された中身を回復させることが、まさしくこれまでの治療法の目標だったように、エコサイコロジーの目標もまた、エコロジカルな無意識に内在する、環境との本来的な相互依存感覚を目覚めさせることである。ほかの精神療法は人と人、個人と家族、個人と社会との疎外関係を癒すことを目指している。だが、エコサイコロジーは、人と自然環境との間に生じた、もっと根底的な疎外関係の治癒を目指している。

4.他の療法にとってもそうだが、エコサイコロジーにとっても、発達の決定的な段階は子どもの生活である。新生児の魔法を秘めたような世界に対する感覚においてこそ、あたかも天賦の才であるかのように、エコロジカルな無意識は再生してくる。機能的に「健全な」大人において、子どものもつ生得的なアニミズム的経験の質を回復することを、エコサイコロジーは目指している。そのために、エコサイコロジーは多くの知識をよりどころとするが、そこには原始的な生活をする人々の伝統的な癒しの手法、宗教や芸術に表れる自然神秘主義、野生の体験、ディープ・エコロジーがもたらす洞察などが含まれる。これらを適用して、エコロジカルな自我の創出という目標に資する。

5.エコロジカルな自我は、地球に対する倫理的責任感に向かって成熟をとげる。それは、他者に対する倫理的責任感として生き生きとした形で体験されるものである。エコサイコロジーは、この責任を織りあげて、社会的諸関係と政治諸決定という布地をつくりだす。

6.治療のプロジェクトのなかでも、エコサイコロジーにとってもっとも重要なのは、私たちの社会の政治権力の構造に浸透している、ある種の強制的な「男性的」性向の痕跡を洗いなおすことである。この性向は、自然を、あたかも自分たちとは別物の、なんの権利もない領域であるかのようにみなし、それを支配することを私たちにけしかける。その意味で、エコサイコロジーは、エコフェミニズムと「フェミニスト・スピリチュアリティ」運動が獲得した洞察のいくつか(すべてではなく)を、そうとう取り入れている。それにより、性的な類型という神話を打ち破ろうとするものである。

7.小さなスケールの社会的形態と、個人の権力の強化に資することはなんであれ、エコロジカルな自我の糧となる。大きなスケールの支配と、個人性の抑圧を目指すものはなんであれ、エコロジカルな自我を阻害する。したがってエコサイコロジーは、組織化のありようが資本主義的であれ集団主義あれ、現代のあらゆる巨大な都市的・工業的文化の本質的な意味での健全さに、深い疑問を呈する。だが、そうはいっても、人類の技術の才、また人類がこれまでに蓄積してきた、工業力に支えられた生命の拡張に役立つ手段を、すべて拒絶するわけではない。エコサイコロジーの社会的志向は、工業的なるものを超越することであり、それに敵対することではない。

8.地球の福祉と個人の福祉のあいだには、シナジー(相乗効果)をもつ作用関係がある、とエコサイコロジーでは考える。シナジーという言葉をあえて選んだ理由は、従来からこの言葉がもっている神学的な意味合いである。それはかつて、こう教えていた。人と神は救済を求めるなかで、協力という絆で結びついている、と。この言葉を現代の生態学で翻訳すれば、つぎのようになるだろう。地球が必要としていることは、人が必要としていることでもある。人の権利は、地球の権利でもある。1

〈註〉

1. Roszak 1992 / 2001, pp. 320-321. 木幡訳の日本語版を参照(pp.457-459)。訳者は「ecopsychology」を「生態学的心理学」、「ecological」を「生態学的」と訳しているが、筆者は 「エコサイコロジー」、「エコロジカルな」に変更している。

〈参考文献〉

Roszak, Theodore (1992 / 2001). The voice of the earth: An Exploration of ecopsychology (2nd ed.). Grand Rapids, MI: Phanes Press.― 木幡和枝訳『地球が語る-宇宙・人間・自然論』(ダイヤモンド社1994)



エコサイコロジーの歴史

 「エコサイコロジー」という用語とそのヴィジョンが初めて公的に定義されたのは、1992年に出版されたセオドア・ローザック(Theodore Roszak)著の『The Voice of the Earth』においてである。そして、その3年後の1995年に出版された26編のエッセイからなるアンソロジー、『Ecopsychology: Restoring the Earth, Healing the Mind』(Roszak, Gomes, and Kanner 編)によって、エコサイコロジーは新しい学問分野としての存在を確立したといえるだろう。ところが、ローザックによるエコサイコロジーの提唱以前にも、環境危機の心理的原因について洞察を深めてきた人物は数多く存在している。したがって、いつ、誰によって最初にエコサイコロジーの発想が生まれたのかを特定することは難しい。

 しかし、命名者であるローザック自身が「最初のエコサイコロジストであり、環境保護運動において、心理学の範疇を私たちの手による惑星の治療に適用した最初の思想家」1と評している人物は、人間生態学者のポール・シェパード(Paul Shepard)である。人間心理と人間による環境破壊行動の相互作用について論じたシェパードの著作『Nature and Madness』(1982)は、エコサイコロジーのパイオニア的研究だと言われている。またローザックは、初期からエコサイコロジーの展開に参与し、以前から関連した多数のエッセイの執筆や、カリフォルニア統合学研究所(California Institute of Integral Studies)で関連した授業を行っていた心理学者のラルフ・メツナー(Ralph Metzner)をエコサイコロジーの創設者の一人とみなしている(Hibbard, 2003

 もう一人の記すべき人物は、1960年代に「サイコエコロジー (psychoecology)」という概念を提唱したロバート・グリーンウェイ(Robert Greenway)である。グリーンウェイは大学でエコロジーを学び、その後マズロー(Abraham Maslow)のライターとして人間性心理学や後のトランスパーソナル心理学の興隆に携わる中、「心は自然であり、自然は心である」という確信を持ち、そこからサイコエコロジーの概念が生みだされた。彼は1968年にカリフォルニアのソノマ州立大学で、サイコエコロジーやトランスパーソナル心理学を教え始めた。それから20年後の1989年に、グリーンウェイの教え子だったイラン・シャピロ(Elan Shapiro)がバークレイでサイコエコロジーのディスカッショングループを結成し、グリーンウェイ、アラン・カナー(Alan Kanner)、メアリー・ゴメス(Mary Gomes)らと隔週で集まり、人間と自然の関係や心理療法がいかにして人間と自然の分離した関係を治癒することができるのかなど、様々なトピックについて議論したという。そしてローザックも後にそのグループへ参加することになった。ここでの議論がローザックのエコサイコロジーの提唱につながっているといえるだろう(Greenway, 2000; Schroll, 2007)

 エコサイコロジーは、ローザックによる提唱からいまだ十数年で、その歴史は浅く、今後の発展が望まれる。しかしエコサイコロジーの源泉となっているものは多岐にわたり、歴史的にみればそれは太古まで遡ることができるだろう。そうしたエコサイコロジーのルーツに関してはまた別の項で論じてみようと思う。


1The Ecopsychology Newsletter 6 (1996, fall), p.11. Hibbard, 2003, p.27より引用)他にもローザックは、近代生態学の創始者で『相互扶助論』を説いたクロポトキン(Prince Peter Kropotkin)や、アナーキストでゲシュタルトセラピーの創設者でもあるグッドマン(Paul Goodman)の、心理学とエコロジーを統合しようする試みから、彼らを最初期のエコサイコロジストと評している。


参考文献

Greenway, Robert (2000). Ecopsychology: A personal history.
http://www.ecopsychology.org/journal/gatherings/personal.htm

Hibbard, Whit (2003). Ecopsychology: A review. The Trumpeter 19(2): 23-58

Roszak, Theodore (1992 / 2001). The voice of the earth: An exploration of ecopsychology (2nd ed.). Grand Rapids, MI: Phanes Press.

Roszak, T., M. Gomes, and A. Kanner, eds. (1995). Ecopsychology: Restoring the earth, healing the mind. San Francisco: Sierra Club Books.

Schroll, Mark A. (2007). Wrestling with Arne Naess: A chronicle of ecopsychology's origins. The Trumpeter 23(1): 28-57


エコサイコロジーの原則

 セオドア・ローザックは『The Voice of the Earth (邦題:地球が語る)』(1992 / 2001)でエコサイコロジーの原則を以下のように挙げている。1

  1. 「心の核心はエコロジカルな無意識である。エコサイコロジーからすると、工業社会に見られるなれあい的狂気は、エコロジカルな無意識の抑圧に深く根ざしている。エコロジカルな無意識との自由な行き来こそ、健全さへの道である。」

  2. 「エコロジカルな無意識の中身は、ある程度、心性のなんらかのレベルにおいて、はるか昔の時間史の初期条件まで遡る、宇宙進化の生きた記録を象徴している。」

  3. 「エコロジカルな無意識に内在する、環境との本来的な相互依存感覚を目覚めさせること」は可能であり、それによって「人と自然環境との間に生じた、もっと根底的な疎外関係」は治癒される。

  4. 「新生児の魔法を秘めたような世界に対する感覚においてこそ…エコロジカルな無意識は再生してくる。機能的に〈健全な〉大人において、子どものもつ生得的なアニミズム的経験の質を回復すること」と「エコロジカルな自我の創出」をエコサイコロジーは目指している。

  5. 「エコロジカルな自我は、地球に対する倫理的責任感に向かって成熟をとげる。それは、他者に対する倫理的責任感として生き生きとした形で体験されるものである。エコサイコロジーは、この責任を織りあげて、社会的諸関係と政治諸決定という布地をつくりだす。」

  6. 「自然を、あたかも自分たちとは別物の、なんの権利もない領域であるかのようにみなし、それを支配することを私たちにけしかける、ある種の強制的な〈男性的〉性向の痕跡」がある。その男性的性向を洗いなおす必要がある。

  7. 「小さなスケールの社会的形態と、個人の権力の強化に資することはなんであれ、エコロジカルな自我の糧となる。(その一方で)大きなスケールの支配と、個人性の抑圧を目指すものはなんであれ、エコロジカルな自我を阻害する。したがってエコサイコロジーは、組織化のありようが資本主義的であれ集団主義あれ、現代のあらゆる巨大な都市的・工業的文化の本質的な意味での健全さに、深い疑問を呈する。…エコサイコロジーの社会的志向は、工業的なるものを超越することであり、それに敵対することではない。」

  8. 「地球が必要としていることは、人が必要としていることでもある。人の権利は、地球の権利でもある。」

 ローザックはこれらの原則を単なるガイドだと述べており、他のエコサイコロジスト達によってさらに発展されることを期待していた。彼がこのオリジナルの原則を提唱してから2年後、『エコサイコロジー・ラウンドテーブル』のメンバーによって以下つの原則が付け加えられたHibbard, 2003

  1. 地球は生けるシステムである宇宙の一部であり、地球自体もまた生けるシステムである。

  2. 人類、人類の成果および文化は、そのシステムの欠くことができない必須のものである。

  3. システム全体とその全ての部分の健康には、部分同士の間、また部分と全体との間に調和のとれた、持続可能で、相互に育成しあう関係が必要とされる。

  4. 〈身体的〉かつ〈心理的〉な次元を含む健全な人間の発達には、人間と人間以外の世界の形態との相互関連性や相互依存性が含まれなければならない。

  5. 人体や部分の核にある、私たちが〈魂〉(psyche) と呼ぶものは、生けるシステムである地球の他の形態と共進化するにつれて、私たちの内部に保存されてきた情報である。エコロジカルな無意識と呼ばれているエコロジカルな知性は、人間と自然の結びつきに関する〈理解〉の貯蔵庫のようなものである。2

 これら13からなる原則がエコサイコロジーの核となる原則だと考えられる。


〈註〉

1. Roszak 1992 / 2001, pp. 320-321. 木幡訳の日本語版を参照。訳者は「ecopsychology」を「生態学的心理学」、「ecological」を「生態学的」と訳しているが、筆者は「エコサイコロジー」、「エコロジカルな」に変更している。ここに紹介した原則は要約したものであり、全文はこちらを参照のこと。

2. Ecopsychology Roundtable. 1994. Statment of Purpose for an Ecopsychology Conferense. Unpublished draft. Center for Psychology & Social Change at Harvard Medical School. (Hibbard 2003, p. 40より引用


〈参考文献〉

Hibbard, Whit (2003). Ecopsychology: A review. The Trumpeter 19(2): 23-58

Roszak, Theodore (1992 / 2001). The voice of the earth: An Exploration of ecopsychology (2nd ed.). Grand Rapids, MI: Phanes Press.― 木幡和枝訳『地球が語る-宇宙・人間・自然論』(ダイヤモンド社1994)


はじめに

Psychology, so dedicated to awakening human consciousness, need to wake itself up to one of the most ancient human truths: we cannot be studied or cured apart from the planet.

James Hillman 1

人間の意識を覚醒することに専念してきた心理学は、太古の人間真理のひとつに気づく必要がある。私たちを惑星から切り離して研究することも、また治癒することもできないということに。                

 エコサイコロジー (Ecopsychology) とは、その名が示すとおり、エコロジーecology:生態学)とサイコロジー(psychology:心理学)を統合した新興の学際分野である。アメリカの歴史学者、セオドア・ローザック (1992) が「心理学的なものと生態学的なものの間にある、われわれの文化が作った長年にわたる歴史的な深い淵に橋を架ける」ために発案した造語である。この2つの分野を統合する試みには、「心理学のエコロジー化 (ecologizing psychology) 」と、「エコロジーの心理学化 (psychologizing ecology) 」という両義的な基本前提がある。

 ローザック (1992, 1995) は、従来の心理学やサイコセラピー(心理療法)が扱ってきた範囲は個人、家族、社会など人間社会に限定されており、人間以外の生き物や自然の世界がその対象から欠落していること批判し、心理学の理論と実践の概念をエコロジカルな文脈で捉えなおすことが不可欠であると主張する。また、環境保護運動は活動の重点を組織化、教育、扇動することに置き、環境に対する人間心理の複雑さについて考慮してこなかった点について批判する。脅したり、罪悪感を植えつけることではなく、「新しい心理的な感受性」が環境保護運動に不可欠であるという。この両分野がそれぞれ欠いている部分を互いに補い合って統合するものがエコサイコロジーだといえる。

 惑星規模で展開される環境破壊は、ローザックが言うように、私たち人間の日常生活の精神病理である。現在、私たちは人間と自然との関係を問い直し、再び自然との結びつきを取り戻すための転換期に生きている。エコサイコロジーが、私たちの進むべき道すじを示してくれることを筆者は信じている。


 このブログでは、日本ではまだ普及していないエコサイコロジーの理論と実践や、エコサイコロジーと関連する分野を紹介していきたいと思う。


1. Hillman 1995, p. xxii


参考文献

Hillman, James (1995) . A Psyche the size of the Earth: A psychological foreword. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology: Restoring the earth, healing the mind (pp.xvii - xxiii). San Francisco: Sierra Club Books.

Roszak, Theodore (1992/2001). The Voice of the earth: An exploration of ecopsychology (2nd ed.) Grand Rapids, MI: Phanes Press.

Roszak, Theodore (1995). Where psyche meets Gaia. In T. Roszak, M. Gomes, and A. Kanner (Eds.), Ecopsychology: Restoring the earth, healing the mind (pp.1-17). San Francisco: Sierra Club Books.