エコサイコロジーの知的基盤 その1

 エコサイコロジーの知的基盤を形成しているものとして、ヒバード(Hibbard, 2003)は、環境保護運動とそこから派生した環境学の諸分野、特に環境神学(ecotheology)、環境哲学(ecophilosophy)、ディープエコロジー (deep ecology)、エコフェミニズム(ecofeminism)を挙げている。

1. 環境保護運動
 エコサイコロジーは、最も広い意味で言うと、近代の工業文明が環境危機を引き起こしているという認識に応じて1960年代より展開されてきた環境保護運動から生まれ出たものといえる。フォックス(Fox, 1995) によると、環境運動の始まりは、1962年に出版されたレイチェル・カーソン(Rachel Carson) の『沈黙の春(Silent Spring)』が環境問題への大衆的な関心を呼び起こしたことがきっかけだという。環境保護運動の揺るぎない貢献は、深刻な環境問題が起こっているという事実を公的な議論の最前線へと推し進めたことである。その認識は、専門の学問領域が環境問題に取り組む勢いを与え、大衆の意識を〈緑化〉することに貢献し、後に出現するエコサイコロジーにとって必要となる知的基盤を築くことになった。

2. 環境神学(ecotheology)
 リン・ホワイトJr.Lynn White Jr.) は1967年に発表した衝撃的な論文『現在の生態学的危機の歴史的根源 (The Historical Roots of Our Ecological Crisis)』で、恥ずかしげもないほど人間中心的なユダヤ-キリスト教的世界観が、自然を無条件に支配することや開発することを認めていると非難した。ホワイトの論文はユダヤ-キリスト教的伝統における環境保護の意味合いについての議論をもたらし、環境神学という新分野の誕生を促した。環境神学者たちは、アジアや固有民族の宗教的伝統と同様に、キリスト教やユダヤ教にも環境に対する責任を負わせるため、特にその霊性的コミュニティを自然やすべての生き物を含むまで拡大することによって、彼ら自身のユダヤ-キリスト教的伝統を追求してきた。

3. 環境哲学(ecophilosophy)
 神学の緑化が近代の自然に対する認識や姿勢を変化させることに重大や役割を担ったことと同様に、哲学の緑化も等しく重要なものであった。人間の自然への倫理的関係性は、重大な哲学的議論の論点ではなかった。それが「道徳的な立場は人間とともに始まり、人間とともに終わるのではない」という哲学上の問題として議論に立ち上ってきたのは、「1970年代になって、環境への関心が高まると同時に、哲学者たちも今日的な課題に対して、自分たちの能力をかつてないほど熱心に活用したいという気持ちにかられ、新しい分野としての「環境哲学」をつくり出し」てからのことである。1 ジマーマン(Zimmerman, 1998)によると、環境保護運動は非常に説得力を持っていたので、環境問題に関心を持つ新世代の哲学者が倫理的責任感の問題を含む人間の自然との関係性の根本的な問題を提起することに影響を与えたという。 


〈註〉
1. Nash, R 1989, pp.122-123. 松野訳の日本語版を参照。


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